MCUシリーズ、意外と行き当たりばったり? ー 『エンドゲーム』監督が明かす

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マーベル・スタジオが展開するMCUシリーズは、2008年公開の『アイアンマン』より約10年以上に渡って複数の作品を展開ている人気のシリーズで、かつ複数の作品でひとつの世界観を構成する「シェアード・ユニバース」を最も成功させたシリーズでもある。

そんなMCUなのだから、何年も先まで綿密な計画の元で映画やドラマを製作していると思われているようだが、『アベンジャーズ/エンドゲーム』などでメガホンを撮った監督の一人であるジョー・ルッソ監督によれば、実は行き当たりばったりでアイディアを考えていることを明らかにした

『いつか誰かがこのことについて詳細に話してくれると思っていますが、ケヴィン・ファイギ(マーベル・スタジオ代表)の素晴らしいところは、実際には(MCUの将来の)計画をしていないということです。(中略)映画が成功したら、その時点から「他になにができるだろうか?」というある種の熱量を持ち始めます。そしてそれが新しいアイディアが生まれる時だ。』

振り返れば2008年の時点で『アベンジャーズ/エンドゲーム』のような映画が製作されることを綿密に考えられたかというと難しい。

当時はまだソニー・ピクチャーズと協力関係ではなかったため、スパイダーマンの使用も現実的ではなかったし、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』も知名度が低いヒーローチームだった。そもそも映画がヒットしなければその計画が上手くいく保証はどこにもない。

そういったことを考慮すれば、ジョー・ルッソ監督が言うように、その場でアイディアを考えながら映画やドラマを製作していることがよくわかる。

ちなみに『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』は、前作の『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』のポストクレジットシーンで、ミステリオによってスパイダーマンがピーター・パーカーであることが暴露されたことから始まっているが、実はそのシーンが作られた時点では、『ノー・ウェイ・ホーム』はほぼ白紙の状態だったことがわかっている。

ヴィランについてもクレイヴン・ザ・ハンターを想定したともしており、当初の構想から実際に公開された映画が全く異なるものになっていることがわかる。

綿密に計画しながら進められていると思われがちなMCUシリーズは、実際には歩みながらアイディアを練って作品制作をしている。
そのために成功することもあれば、当然失敗することもある。一方で綿密に計画していないからこそ軌道修正も容易くすることができる。この予測できないところがMCUシリーズの面白いところなのかもしれない。

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